今の子どもってわりとフレンドリー

以前再び嗚咽でお世話になったterracaoさんが何かのシンポに出席されて憤慨されておられるらしい。この記事を読んで思ったことを少々。

ではどうすればいいか?子どもの将来のために何をするべきなのか?――「国際交流のための共通語としての英語を教えるべき」「コミュニケーションの大切さを...」「異文化への寛容な態度を...」。これらのことを教えなければ、今の子どもの将来は真っ暗だとでも言い出しそうな論調である。今の子どもたちは放っておいたらダメになってしまうというメッセージにさえ読める。


「子ども中心」だと言いながら、「今、子どもたちはどうなっているのか」というクールな分析は見られない。ほとんどの人が自身の現状認識については触れず、触れたとしても主観でまくし立てるに過ぎない。議論の焦点は子どもに何を授けたいかにおかれ、本当にそれを授ける必要があるのかと自問している態度は見られなかった。

何かよくわからないのでここだけ引用させてもらいます。
僕は教育業界の末端に関わってる人間として、正直言うと教育学者ほど信用できない人間はいない。彼らはなんにも分かっちゃいないぜ!昔と比べて今の子どもらは驚くほどコミュニケーション力(?)が豊富*1である。これまで長い間子どもの教育に関わる現場で働いてきて思う*2のが、学者連中の言うことは全く現状に即していないということだけ。彼らは現場の人間が日々感じていることを理解しているのだろうか。それどころか、実際に現場に出て子どもの現状を知ろうとすらしていないだろう。話題の英語教育についても、またお上がわけわからないこと言い出したな、程度にしか感じない。積極的に現場、子どもを知ろうともしない連中にこれ以上僕の職場*3を土足で荒らされたくない。理屈は分かったから、あんたら何を知ってるの?、と。


「子ども中心」だと言いながら、「今、子どもたちはどうなっているのか」というクールな分析は見られない。


とterracaoさんがおっしゃっているように、学者連中はなにも分かっちゃいない。英語ができれば万事解決などという理解に苦しむ突飛なことを言い出す前にもうちょっと末端の人間が仕事しやすいような環境を作って欲しい。学校が学習塾みたいになって子どもらに迎合するようになったらそれこそ日本の終わりだ。
なんの学会かわからないけれど、そんな異次元の議論が行われている学会だとしたら、僕も憤慨して「♪ねばいいのに」とか思うだろう。(terracaoさんごめんなさい)

*1:いつものように僕の主観でしかない。ただし母数はそれなりに多いぞ

*2:僕は全く教育学の学会の動向など興味がない。自分の関わる子どもらに自分の経験やそこから得たもの失ったものを伝えてやろうと思っているのみ

*3:子どもらの状況など日々変わり続ける。実際の現場は戦場だ