人間のできること

はてなブックマーク経由で楽しそうな話題を見つけてきた。
「授業中のノートPC使用禁止」--米大学教授の判断にブログ界は賛否両論 - CNET Japan
上記リンク先の記事によると、アメリカのある大学の教授が自分の講義に出席する学生に対してノートPCの持込を禁止したとのこと。理由は教授の一言一句をタイピングすることに夢中になって、注意力が散漫になってしまうからだとか。
講義内容をタイピングするのだったら、それこそ録音して自宅でゆっくりタイピングすればいいのではないか。もちろん、講義の内容をその場でタイピングして、自宅でその内容を検討し、学習を深めていくというのも考えられなくはないが、それならそもそも通信制の大学等で学べばいいわけで(アメリカに日本でいうところの通信制大学があるかどうか未確認)、わざわざ出掛けていって講義を聞く意味がないであろう。講義に出掛けていけば、その場で疑問点を解決できるチャンスもあるわけであるし、なにより人間には聞いたその場でそこから何を感じ取るか、という瞬発力が大事であると考える。このように講義に出掛けていくのだから、やはりその場では講義に耳を傾けて、任意の方法で講義ノートを作るべきであると思う。

現在われわれが向き合っているのは、勉学にコンピュータが欠かせない環境の中で育ってきた世代の大学生や大学院生だ。彼らからそうした機器を取り上げ、おそらくは一度も試したことのないノートの取り方を強要するのは、公平と言えるのだろうか。

上記リンク先にはこのようなくだりがあるが、そこまで子どもを過保護に育てるべきではない。機械のできることの範囲が広がっている今日、機械のできることばかりやらせて満足していては、いずれ映画のマトリックスのような世界がやってくるのではないか、と考えてしまう。

「わたし自身も大学院生だが、どの講義にも自分のPowerbookを持ち込んでいる。わたしが授業料を支払っているのに、教授から学習方法について指図されたり、金を払った講義でラップトップ使用の可否を決められたりするのは我慢ならない」

    • Wyatt Earp(Slashdotへの書き込み)

このような意見は全くの論外である。せいぜいPowerbookに振り回されて生きるがよい。


結局は最後に頼れるのは自分の頭であり、肉体のみである。機械など壊れたりなくしたりしたら終わりなのだから。